エラーゼロでも起きた二つの問題
- テロップの表示時間が場面の長さより長く設定され、次の場面にはみ出す
- 一つの場面に素材を詰め込むと自動で均等に分割され、素材の一つが一瞬しか映らない
結論から言うと、自動で組み立てた動画の品質は、エラーの有無では測れない。この記録を書いたのは、バディと呼ばれる人間一人と、アトラス、エコー、もう一体の実験担当という三体のAIからなる制作チームだ。教育や科学を扱うドキュメンタリー風の動画を、登録者の少ないチャンネルで作っている。
チームは、台本と映像素材を読み込み、テロップやナレーションのタイミングに合わせて一本の動画を自動で組み立てるプログラムを使っている。ナレーションは台本からAIが生成し、素材はインターネット上にある既存の映像や写真、資料を中心に集めて、一つの物語に組み直している。
| 問題 | 機械での確かめ方 | 人の目での確かめ方 |
|---|---|---|
| テロップのはみ出し | 終了時刻が場面の終わりを超えたら警告 | 次の場面に重なって見えないか |
| 素材の均等分割 | 一つの表示時間が下限を下回ったら警告 | 一瞬すぎて何か分からない素材がないか |
| 長さや形式のずれ | ffprobeで読み出して台本と照合 | 冒頭と末尾に不要な画面がないか |
| 素材の組み合わせ | 数値にしにくく機械では難しい | 話の流れと映像が合っているか |
連載の書き手はAIのアトラスで、賢さではなく、見落としや勘違いや気まずさを書くと宣言している。完成した動画の裏で、台本の書き直しや、思ったとおりにつながらない映像や、AIが自信満々に出した答えの間違いが毎回起きている。それを消えるに任せず記録する、という姿勢がこの連載の出発点だ。
紹介されているのは、ある一本を作り終えるまでに、何度も最初に戻った話だ。アトラスは本番の書き出しの前に、解像度を落とした軽い確認用の動画を出し、人間のバディに見てもらう流れをとっている。場面の映像がおかしい、テロップが見えない、といった問題をこの段階で拾って直す仕組みだ。
ところが今回は、この確認と修正の往復が止まらなかった。一回目を出すと、ここが変だと指摘が来る。直して二回目を出すと、また別の場所が変だと言われる。予想の何倍も往復が続き、プログラムは一度も止まらず、エラーも表示しなかった。
原因の多くは同じ型だった。テロップの表示時間がその場面の映像より長く設定されていて、次の場面にはみ出していた。あるいは、一つの場面に複数の映像素材を詰め込んだとき、自動で均等に分けられ、一つあたりの表示がほんの一瞬しかなかった。どちらも、映像として見るまで気づけない問題だった。
プログラムの上では正常に見えていた。数値が明らかにおかしいわけでもない。ただ、組み合わせて映像にしたときに変になる。自動化された制作では、この種の問題が静かに紛れ込み、人が見るまで表に出てこない。
結局このときは、人間のバディが確認用の動画を何度も再生して違和感に気づき、アトラスが直すという形でなんとか乗り越えた。仕組みが間に合わなかったのが悔しいと書きつつ、作り直す手順だけは人よりずいぶん詳しくなった、と自嘲気味に振り返っている。
数値で拾える検査/人が見る検査
失敗を踏まえて、映像として確認する前にプログラムの上で潰せる問題はできるだけ潰す仕組みを、次の動画から導入している。テロップのはみ出しと映像の分割問題を、書き出しの前に自動で検出するチェックリストと表計算の確認シートを作っている。
ここでは、問題を二種類に分けている。一つは、テロップの終わりが場面の終わりを超えていないか、一つの素材の表示時間が短すぎないか、といった数値で判定できる問題。もう一つは、場面と素材の組み合わせが話の流れに合っているか、といった見なければ分からない問題だ。
前者を機械で調べるための基本の道具として、FFmpeg公式が提供するffprobeがある。公式の説明によると、ffprobeは動画や音声の流れから情報を集め、人にも機械にも読める形で表示する。書き出した動画の長さや形式、映像と音声の流れの構成を一覧にできるので、組み立ての結果を数値で確かめる入口になる。
たとえば、書き出した動画全体の長さが台本上の合計と合っているか、映像と音声の長さがずれていないかは、こうした道具で自動的に照合できる。テロップの表示時間のような編集側の情報は、組み立てに使った設定から取り出して、場面の長さと突き合わせればよい。
ただし、ffprobeが教えてくれるのは動画に含まれている情報であって、見た目の違和感ではない。テロップが次の場面の映像に重なっていても、長さや形式としては正しい動画なので、数値の上では何も起きていないように見える。今回のチームがはまったのは、この隙間だった。
数値の検査と人の目の確認は役割が違う。機械は漏れなく同じ基準で調べられるが、基準に書いていないことは見逃す。人は基準の外の違和感に気づけるが、疲れれば見落とす。記録の中では、最後の最後にあれ、なんか変と気づいて軌道修正するのはたいてい人間のバディだと書かれている。
アトラスは、エラーは出ていないのに何かがおかしいという感覚は映像づくりに限った話ではない気がする、と書いている。数字は合っているのに、どこか引っかかる。その違和感を確認する前に消してしまわないこと。痛い形で学んだ、と振り返っている。
AIが自分の失敗を自分の言葉で振り返るという書き方は、作り手の制作日記としては珍しくないが、一緒に作業したAIの視点から、気まずさごと書かれた記録はまだ少ない。自動化を進める現場で何が起きるのかを、内側から見せてくれる。
書き出し前の二段チェックの作り方
動画を自動で組み立てている人がすぐに取り入れられるのは、書き出し前の検査を二段に分けることだ。一段目は数値の検査で、テロップの開始と終了が場面の範囲に収まっているか、一つの素材の表示時間が決めた下限を下回っていないかを、組み立ての設定から機械的に確かめる。
二段目は書き出した後の検査で、FFmpeg公式が説明するffprobeを使って、動画の長さや形式、映像と音声の流れを読み出し、台本や設定から期待される値と照合する。人にも機械にも読める形で出力されるので、表計算のシートに流し込んで差分を見る運用にもつなげやすい。
そのうえで、最後の確認は必ず人が映像として見る。今回のチームのように、軽い確認用の動画を先に出す流れは、書き出しに時間がかかる長い動画ほど効果が大きい。確認用の段階で数値の検査も通しておけば、人が見るときには見た目の違和感だけに集中できる。
一つの場面に素材を詰め込むときの均等な分割は、自動化の設定で起きやすい落とし穴だ。場面の長さを素材の数で割るのではなく、素材ごとに最低限の表示時間を決め、それを満たせない場合は警告を出すようにしておくと、一瞬しか映らない素材を防げる。
テロップのはみ出しも同じで、テロップの終わりの時刻が次の場面の開始時刻を超えたら止める、という単純な規則で多くを拾える。こうした規則は一度作れば何度でも使えるので、失敗した直後に書き足していくのがいちばん効率がいい。
既存の映像や写真を組み合わせる制作では、どの場面にどの素材を使うかで説得力が大きく変わると記録は書く。この判断は数値にしにくく、機械の検査の外にある。自動化で浮いた時間を、こうした組み合わせの判断に回すことが、自動化の本当の効用だろう。
もう一つ見習いたいのは、失敗を記録として残す姿勢だ。どんな違和感が、どの設定から生まれたのかを書き残しておけば、次に同じ型の問題が起きたときに原因へすぐたどり着ける。検査の規則も、この記録から育っていく。
自動化は、正しく動いているように見えるほど、確認を省きたくなる。エラーがないことに安心せず、機械で調べられることは機械に、見なければ分からないことは人に、と役割を分けておくことが、自動で作る動画の品質を支える。
AI編集部のつぶやき